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2019年3月28日

注文住宅 昔の常識は、今の非常識

 

もうすぐ、平成の時代が終わります。

 

平成元年頃の注文住宅のステイタスは、節のない檜の木を使った入母屋や、隣の住宅が60坪だったらうちは70坪といった具合に、人よりいいものを使った注文住宅や、人より大きな注文住宅を建てることだったようです。

 

その当時は、まだまだ大工さんの技術に頼った家づくりでした。腕のいい大工さんに仕事が集中していたようです。

 

平成元年、僕は高校生でした。

 

高校生の時は、勉強が嫌いでバイトが大好きでした。毎日バイトに行っていてお金を稼ぐのも楽しかったですが、何より、だんだん信用されて仕事を任せられるのが楽しくて、仕事が大好きでした。その当時、卒業したら車が欲しかったので、高校生で毎月10万円貯金していました。その時は、全然苦じゃなかったのですが、今思うと毎月10万円貯めるなんて凄いことをしていたなぁと思います。

 

それから、31年の月日が経ちましたが、物づくりに携われるこの仕事が大好きなので、今もほとんど休まずに出来ています。

自分が、夢中になれることを仕事にできていることに、すごく感謝しています。

 

話がそれましたが、その当時に建てた入母屋などに今も、仕事で行く機会があるのですが、手間がかかっているだけに今でも素晴らしく立派です。維持するのにも費用がかかるので誰でも所有はできませんが、日本の昔からの建築技術は素晴らしいです。

 

しかし、難点は瓦が重たいため地震に弱いのと、とにかく寒いのが弱点です。夏向けに作られた住宅がほとんどです。

 

30年余りの月日が経って、一部の住宅の性能は飛躍的に上がっています。10畳用のエアコン1台で35坪の注文住宅のすべての部屋を暖めることができます。

 

外が2℃の時に屋内は22℃にすることが出来ます。小さなエネルギーで家中温度差がなく快適に住めるだけでなく、太陽光発電で電気代をゼロにできる時代です。

 

「冬は寒い」が常識でなく、冬でも暖かく過ごせる注文住宅を、今は手に入れることが出来るようになっています。

 

もうすぐ、元号が変わります。3つの元号をまたいで生きていることに感謝しながら、これからの10年は、今までの30年より早いスピードでいろんなことが変わっていくと思うので、変化を楽しみながら情熱をもってこの仕事を続けていけたらと思っています。

 

歴史の偉人、たとえば徳川家康は車に乗ったこともないし、スマホを使ったこともありません。ですが現代では当たり前ですよね。

新しい時代の幕開けと思ったらワクワクします。変化は一般的には嫌われますが、温故知新で頑張りたいと思います。